Life Journeyでカウンセラーをしております、ウェブ典子です。成人した2人の子どもの母で、現在はカナダ・ヒューロン湖畔の小さな町に住んでいます。

北米での生活は、通算で今年で25年目となりました。中学時代から英語の勉強が好きで、家庭教師にも来ていただき、必死で勉強していました。高校進学後も週に一度、家庭教師の先生のもとへ通い、朝は小川邦彦先生のNHK英語講座、夕方はラジオで「小林克也と早見優の100万人の英語」、さらに時間があれば米軍基地のラジオ「Far East Network」で英語を学んでいました。

 

英語への情熱は冷めることなく、高校卒業後、一旦大学へ入学しながらも休学という形をとり、アメリカ・ミシガン州の高校へ交換留学に挑戦しました。

もともと人見知りで、間違えることを恥ずかしく感じていた私は、最初は友達作りに苦労し、他の留学生よりも遅れをとっていると感じていました。しかし、素晴らしいホストファミリーに恵まれ、少しずつ殻を破り、現地の友人もでき、英語も自然と話せるようになっていきました。10月のある日、ホストマザーが私の部屋に来て「ハロウィーンの衣装は何にする?」と話しかけてくれたとき、ふと気がついたのです。「すべて理解できている、私、普通に会話している!」と。その時の喜びは、今でも昨日のことのように覚えています。

それ以降の6ヶ月は、ホストファーザーやホストシスターとジョークを言い合い、ホストマザーとは深い話もできるようになり、アメリカの文化を肌で学びながら、10ヶ月の留学を終えました。ホストファミリーとは今でも連絡を取り合っており、心から感謝しています。そして私を送り出してくれた両親にも、感謝の気持ちでいっぱいです。

もともと人見知りで、間違えることを恥ずかしく感じていた私は、最初は友達作りに苦労し、他の留学生よりも遅れをとっていると感じていました。しかし、素晴らしいホストファミリーに恵まれ、少しずつ殻を破り、現地の友人もでき、英語も自然と話せるようになっていきました。10月のある日、ホストマザーが私の部屋に来て「ハロウィーンの衣装は何にする?」と話しかけてくれたとき、ふと気がついたのです。「すべて理解できている、私、普通に会話している!」と。その時の喜びは、今でも昨日のことのように覚えています。 それ以降の6ヶ月は、ホストファーザーやホストシスターとジョークを言い合い、ホストマザーとは深い話もできるようになり、アメリカの文化を肌で学びながら、10ヶ月の留学を終えました。ホストファミリーとは今でも連絡を取り合っており、心から感謝しています。そして私を送り出してくれた両親にも、感謝の気持ちでいっぱいです。

帰国後は英会話学校で英語を教え、国際文化学科で勉強しながら大学生活を楽しみ、卒業後は日本で就職しました。

しかし、「海外に行きたい」という気持ちは消えることなく、ちょうど香港が注目されていた時代にその思いが再燃。当時の香港は英語か広東語が話せれば仕事が見つかるバブル期だったこともあり、香港に渡ってすぐに職を得て、イギリス統治下の香港での生活を満喫しました。

その後、結婚を機にアメリカへ渡り、アメリカ国内、カナダ、そして日本と引っ越しを繰り返した後、アトランタに落ち着き、2人の子どもを育てました。

その後19年ぶりに日本に住むことになり、慣れない日本の生活に戸惑いながらも、かねてから興味のあった旅行業界に携わる機会を得て、旅行会社でオフィスマネージャーを務めながら、訪日外国人向けのツアーガイドとして都内近郊を案内しました。

日本人として、そして海外経験を通して外から日本を見てきた視点を持つ者として、ある意味では外国人の目線も理解しながら、日本の魅力を伝えることができる、素晴らしい仕事だったと思います。

コロナ禍にはオンラインツアーも催行し、海外に住む方々に向けて、日本の“今”を生中継でご紹介するという貴重な体験もしました。

その後19年ぶりに日本に住むことになり、慣れない日本の生活に戸惑いながらも、かねてから興味のあった旅行業界に携わる機会を得て、旅行会社でオフィスマネージャーを務めながら、訪日外国人向けのツアーガイドとして都内近郊を案内しました。

日本人として、そして海外経験を通して外から日本を見てきた視点を持つ者として、ある意味では外国人の目線も理解しながら、日本の魅力を伝えることができる、素晴らしい仕事だったと思います。

コロナ禍にはオンラインツアーも催行し、海外に住む方々に向けて、日本の“今”を生中継でご紹介するという貴重な体験もしました。

2022年、カナダの五大湖のひとつ、ヒューロン湖の湖畔に移住しました。コロナ収束後、いち早く日本人留学生に門戸を開いたカナダには、多くの若者たちが夢を抱いて訪れるようになりました。

 

かつて私も、辛い時期を乗り越えながら素晴らしい留学経験を得ることができました。ホストファミリーや、日本から応援してくれた家族、そして現地で出会った友人や地域の人々の支えがあってこそ実現した経験です。いつか彼らへの恩返しがしたい――そんな想いを抱いていた矢先に、留学生のサポートに関わる機会を得ました。

それ以来、これまでに250人以上の日本人留学生に対し、数ヶ月から1年にわたる現地での生活をサポートし、充実した留学生活を送れるよう伴走してまいりました。

最初はよく連絡をくれていた生徒さんも、カナダの生活に慣れて友人ができると、忙しくなり連絡も少なくなっていきます。それでも月に一度のオンライン面談には必ず参加してくださり、楽しい日常の話や、時には壁にぶつかってしまった生徒さんの相談にのり、より有意義な留学生活を遅れるようサポートすることもありました。

また、心の支えが必要な時は車を飛ばしてホームステイ先まで話を聞きに行ったことも何度となくありました。私が留学していた時代とは状況も異なりますが、異文化の中で生活するという点は変わりません。日本では当たり前のことが、海外ではそうでないことも多く、それを受け入れるのは簡単ではありません。本や動画で予習していても、実際に体験すると想像以上に大変なこともあります。そうした時こそ、私自身の留学経験、香港での生活、また海外の方が日本で感じた不安に寄り添った経験、多文化で子育てをした経験を生かし、生徒様、一人ひとりに寄り添いながら、その壁を乗り越えていけるようサポートをし、見守ってきました。留学を終え、一回りも二回りも成長して帰国される生徒様を見送るときは、何ものにも代えがたい喜びを感じます。

 

現在は、小学生から高校生までのジュニアキャンプ参加者、ワーキングホリデーや語学留学、大学留学を目指す成人の方々と幅広い留学生のサポートを行い、それぞれの目標達成に向けて力を尽くしています。

最初はよく連絡をくれていた生徒さんも、カナダの生活に慣れて友人ができると、忙しくなり連絡も少なくなっていきます。それでも月に一度のオンライン面談には必ず参加してくださり、楽しい日常の話や、時には壁にぶつかってしまった生徒さんの相談にのり、より有意義な留学生活を遅れるようサポートすることもありました。また、心の支えが必要な時は車を飛ばしてホームステイ先まで話を聞きに行ったことも何度となくありました。私が留学していた時代とは状況も異なりますが、異文化の中で生活するという点は変わりません。日本では当たり前のことが、海外ではそうでないことも多く、それを受け入れるのは簡単ではありません。本や動画で予習していても、実際に体験すると想像以上に大変なこともあります。そうした時こそ、私自身の留学経験、香港での生活、また海外の方が日本で感じた不安に寄り添った経験、多文化で子育てをした経験を生かし、生徒様、一人ひとりに寄り添いながら、その壁を乗り越えていけるようサポートをし、見守ってきました。留学を終え、一回りも二回りも成長して帰国される生徒様を見送るときは、何ものにも代えがたい喜びを感じます。

現在は、小学生から高校生までのジュニアキャンプ参加者、ワーキングホリデーや語学留学、大学留学を目指す成人の方々と幅広い留学生のサポートを行い、それぞれの目標達成に向けて力を尽くしています。

 

 

 

日本で生まれ育った日本人として、そして長年海外に住んだ日本人として、言葉も文化も異なるイギリス統治下の香港での生活、アメリカ東海岸と南部、そしてカナダでの生活という多様な文化の中で生活をしてきた日本人として私は価値観の違いを受け入れながら、自分らしく生きることを学んできました。この経験は私自身を成長させると同時に、同じような志を持つ若い世代を支える力にもなっています。

 

私は「やってみたい」と思っていた職業、旅行業と教育サポートの両方に就くことができ、幸せを感じています。

これからも、多様な目標をもって海外留学に挑戦される皆さまに寄り添いながら、人生の大きな一歩を応援し続けていきたいと願っています。